高雄周辺観光情報

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京都は言わずもがな、観光地です。
季節を問わず多くの観光客の方が訪れます。そんな中でも高雄はちょっとした「穴場」として知られており、京都に住む地元の方が日帰りで「癒し」を求めて訪れる処なのです。

例えば秋でしたら、京都の紅葉といえば嵐山や嵯峨野が有名ですが、さすがに有名な観光地ですから人手が多く、車で行けばかなりの渋滞を覚悟しなければなりません。高雄は嵐山の山並みをほんの数キロ北に辿った位置にあり、嵐山や嵯峨野に引けをとらない景観を誇っています。それでいて嵐山や嵯峨野ほど観光客でごった返すこともなく、比較的、静寂を保っています。

そんな高雄の魅力の1つに「人の少ない朝、ちょっと散歩に出かける」楽しみがあります。 もみぢ家から歩いて行ける散歩・散策コースをいくつかご紹介します。

三尾めぐり

三尾めぐり

神護寺は高雄に、西明寺は槇尾に、高山寺は栂尾にあることから「三尾(さんび)めぐり」と呼ばれています。 乱れ積みの石段を登る神護寺、五代将軍 徳川綱吉の生母、桂冒院ゆかりの西明寺、山深い高雄の古刹、高山寺の順に訪ねると良いでしょう。どのお寺も、もみぢ家から歩いて行ける距離です。
秋の紅葉は、例年10月下旬ごろから始まり11月10日前後が見ごろになります。清川沿いの道でも紅葉狩りが楽しめます。

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高尾山 神護寺

春の神護寺山門
[春の神護寺山門]

秋の神護寺金堂
[秋の神護寺金堂]

秋のライトアップされた境内
[秋のライトアップされた境内]

神護寺の始まり

平安京造宮(794~)の最高責任者(造宮大夫)であった和気清麿公が、今の愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つです。 当初「高雄山寺」と呼ばれていましたが、天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地が、よごれた所でふさわしくないという理由から「高雄山寺」に合併され、「神護国祚真護寺」と称したのが始まりです。 これより先、和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場としました。 その為、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となりました。 ことに弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山、以来14年間住持して、真言宗立教の基礎を築いた所でもあります。のちの東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊さつであり、弘法大師を初代としています。

神護寺の自然

神護寺の、約20万平方メートル(60,400坪)の山内全域は、木々の緑と紅葉におおわれていて、朱の金堂はカエデと色をきそい、大師堂は7世紀間の風雪に堪えてひっそりと静まり、多宝塔は緑をぬきん出て建ち、絵筆に描き尽くせぬ美しさです。境内再西端の地蔵院の庭からながめる、清滝川の清流がつくる錦雲峡は、有名な「かわら投げ」のかわらけの、ゆくえを定めかねる、千仭の渓谷です。
春は桜が満山をかざり、夏は蝉しぐれに明け、河鹿、ひぐらしの声にくれの声に暮れ、冬は雪に埋もれてこよなく美しさにつつまれて、しみじみと人の世のあり方を考えるのによい環境です。

現在の盛観

応仁の乱では再び兵火をうけ、大師堂をのこして焼失しましたが、元和九年(1623)龍厳上人のとき、所司代板倉勝重の奉行によって桜門、金堂(いまの毘沙門堂)、五大堂、鐘楼を再興。昭和十年、山口玄洞居士の寄進で、昭和の名作といわれる金堂、多宝塔などが新築されて、今日の美観を整えています。

神護寺の重宝

その始まりと、中興の歴史が示しているように、平安時代前期(約1,100年前)と鎌倉時代(7~800年前)の二期にわたるものが大部分であり、しかも芸術的価値においては第一級品に目されるものを数多く所蔵しておりまして、国宝16点、重要文化財2,372点があります。毎年5月初旬の「宝物虫払い」行事には、これらの主要なものを順次展覧します。

神護寺について

所要時間: 徒歩20分
拝観料: 500円
拝観時間: 9:00~16:00
休観日: 無休
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槇尾山 西明寺

春の西明寺裏山
[春の西明寺裏山]

夏の西明寺入り口
[夏の西明寺入り口]

秋の西明寺山門
[秋の西明寺山門]

秋の西明寺釣鐘
[秋の西明寺釣鐘]

西明寺の由来

西明寺は、古義真言宗に属し槇尾山と号す。高雄(尾)山・神護寺、栂尾山・高山寺と共に三尾の名刹の一つとして知られる。 古来から、清滝川のせせらぎと共に、春の桜、つつじ、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季を通じて豊かな自然を現わしている。 天長年間(824~834)に弘法大師の高弟智泉大徳が神護寺の別院として創建したのに始まると伝える。 荒廃後、建治年間(1275~1278)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。
また、正応三年(1290)に平等心王院の号を後宇多法皇より命名賜わり、神護寺より独立した。 さらに、永禄年間(1558~1570)に兵火にあって焼亡したが、慶長七年(1602)に明忍律師により再興された。 現在の本堂は元禄十三年(1700)に桂昌院の寄進により再建されたものである。 堂内には、唐様須弥壇上の本尊釈迦如来像(重要文化財)を始め、多数の仏像が安置されている。

仏像

【釈迦如来像】

本堂正面の須弥壇上の図厨子内に安置されている本尊で、鎌倉時代に仏師運慶によって彫られた立像である。 清涼寺式釈迦如来像で生前の釈迦如来の面影を伝えていると云われており、需要文化財となっている。 釈迦如来は二千年五百年前に印度国に生まれ、仏教を創説された。その教えは「万物は因、縁、果の法を見る時、正智を生ずる。 正智を生ずる時、正しい生活が行われる。正しい生活が行われる時、 苦しみ、悩みから救われ、ここに平和の光明は実現する。」と説いている。

【千手観世音菩薩像】

本堂の脇陣に安置されており、平安時代に彫られ、重要文化財となっている。 頭上に十面を敷き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め四十二手の千手観世音菩薩像である。 細面で鼻筋が通った繊細な顔立ちをした立像である。慈悲の力を持って衆生の苦しみを救おうと信仰されている。

【愛染明王像】

本堂の脇陣に安置されており、鎌倉時代後期に慶派に連なる師によって彫られた明王像である。 五鈷を戴く獅子冠を頭上に乗せ、三目を瞋らせ、開口して牙先を現わし、六臂の各手に法具や弓箭等を執って座っている。 我宝自性上人の念持本尊で、愛の力を授かるとして古来から多くの人々に拝まれてきた。

建造物

【本堂】

元禄十三年(1700)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。 桁行七間、梁行四間で、内部には梁行の三分されている。中央間が内陣で、後方に四天柱を建て、逆蓮擬宝珠付きの唐様須弥壇には厨子が奉安されている。両横の脇陣の役割を果たしており、真言宗寺院の本堂ろしては特異な平面である点に特色が見られる。正面入口の梁上に「霊山鷲心」の額が掲げられている。

【客殿】

本堂の左方に接近して建ち、本堂左後方と短い渡廊下で結ばれている。 造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された。当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていた。 前列二室、後列三室からなり、前列南室には、慶長および元和年間に三度にわたって制定された九ケ条からなる「平等心王院僧制」の木札が掲げられている。

【表門】

一間薬医門で、本堂と同じ元禄十三年(1700)の造営になり、西明寺の元禄造営の一連の建造物として貴重である。

人物

智泉大徳、我宝自性上人、明忍律師

西明寺について

所要時間: 徒歩10分
拝観料: 秋季(10月・11月)のみ 400円、
秋季以外は無料
※本殿は秋季(10月・11月)以外は有料
拝観時間: 9:00~17:00
休観日: 無休
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栂尾山 高山寺

春の高山寺山門
[春の高山寺山門]

秋の神護寺金堂
[秋の神護寺金堂]

高山寺の始まり

高山寺は、紅葉の名所三尾(高尾、槇尾、栂尾)の北のはずれにあり、清滝の清流をはさむ境内には、 老杉や巨松や老楓でおおわれ、自然の佳景をなし「華厳浄土」にふさわしい寺域である。
古くは比叡山の尊意僧正によって開かれたが、荒廃の後、鎌倉時代に明恵上人が後鳥羽上皇の院宜を拝してこの地を得、 上皇から「日出先照高山之寺」の号を賜わり、華厳道場を創立し、学問・美術の府としても盛んであった。
明恵上人時代の遺構である住宅建築の傑作、石水院(国宝・世界歴史遺産)や鳥獣戯画(国宝)をはじめ多くの文化財を蔵している。

高山寺について

所要時間: 徒歩15分
10・11月は入山料: 400円
国宝石水院の見学料: 600円
拝観時間: 9:00~16:00
休観日: 無休
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